旧奈良監獄の保存と活用から学ぶ「建築の価値」
2026.08.10
2026年6月25日に開業し、大きな話題を呼んでいる「星のや奈良監獄」。国の重要文化財に指定されている「旧奈良監獄」を再生した、このホテルの内装設計を手がけたのは、本学建築デザイン学部建築デザイン学科の特別招聘教授、東利恵(あずまりえ)先生です。
7月2日(木)、本学の成瀬記念講堂(文京区指定文化財)にて、東先生をはじめ、本計画のプロジェクトマネージャーを務める星野リゾートの石井芳明(いしいよしあき)氏、そして文化財保存・日本建築史の専門家である同・建築デザイン学科長の是澤紀子(これさわのりこ・建築デザイン学科教授)先生をゲストに迎え、シンポジウム「奈良監獄 —民活による文化財保存」が開催されました。本学の学生に向けて語られた、文化財の「保存と活用」の最前線の取り組みを紹介します。
なぜ歴史ある建物を保存し再生するのか?「保存の理念」を紐解く
シンポジウムのトップバッターとして登壇したのは、是澤先生。まずは、文化財保存という行為の発生から話を切り出しました。
「今、歴史ある建物の多くは取り壊されそうになったり、失われる『危機』に面して初めて、保存や再生を考えるという行為が発生します。とくに近代以降、今の文化財保存につながる『保存』の考え方や仕組みが整備されてきました」
そう語る是澤先生ですが、ただ「歴史があるから」という理由だけで残すわけではありません。そこには「この建物のどこに、どのような価値があるのか」という本質的な発見が不可欠です。
「奈良監獄のような文化財を保存する際、専門家たちは建物に眠る固有の『価値』を丹念に調査します。そのうえで保存活用計画を立てて設計しますが、工事がはじまると、その解体中にこそ、新たな『価値』の発見が多くあります。そのため再検討を重ねつつ慎重に設計を進め、手を加えるのは『必要最小限』にとどめる(最小限の介入)のが保存の原則です。同時に活用にあたって、必ず手を加えてデザインする部分も出てきます。そこでは建物の『価値』を継承できるよう、たとえば将来的に元の姿に戻したくなったときにそれが可能である状態(可逆性)を担保しながら、現代の知恵を重ね合わせていきます」
さらに是澤先生は、この旧奈良監獄が国内の重要文化財として初めて、民間企業の資金やノウハウを活かす「PFI事業(コンセッション方式)」※の対象になった点に言及。この新しい仕組みの意義を説き、次世代における文化財保存の新たなあり方を示しました。
※利用料金の徴収を行う公共施設について、施設の所有権を公共主体が有したまま、施設の運営権を民間事業者に設定する方式(内閣府HPより)
デザインとクリエイションの力で監獄を「憧れの場所」へ
続いて、星野リゾート企画開発グループでプロジェクトマネージャーを務める石井氏が、「星のや奈良監獄(2026年6月25日開業)」および「奈良監獄ミュージアムby星野リゾート(2026年4月27日開業)」の開発プロジェクトについて語りました。
奈良監獄は、明治政府が「日本は人権を尊重する近代的な法治国家である」と世界に示すため、国の威信をかけて建設した「明治五大監獄」の1つ。中央の監視台から5つの収容棟が放射状に伸びる「ハビランド・システム」という独創的な構造が特徴です。石井氏は「少ない人数で全体を見渡せる、当時の最先端の機能美がこの形に凝縮されている」と説明します。
国の重要文化財を民間資金で守る「PFI事業」として進めるにあたり、文化庁、所有者である法務省、そして事業者である星野リゾートという、立場もニーズも異なる三者の間で、落としどころを探るための協議と調整に最も心を砕いたといいます。さらに事業者としては、巨額の改修費を自ら投資し、事業として利益を出しながら維持していく「独立採算」という厳しいハードルもありました。つまり「文化財としての価値」をいかに「お客様にとっての魅力的な価値」に転換できるかが重要な点でした。
そこで石井氏が成功の鍵として掲げたのが、デザインとクリエイションの力です。ホテルの内装設計を担う東先生のほか、「奈良監獄ミュージアム」ではグラフィックデザイナーの佐藤卓氏や、フランスの展示デザイナーであるアドリアン・ガルデール氏といった世界的な才能を招聘。建物のポテンシャルを何倍にも引き上げる体験価値を設計していきました。
「ミュージアムのコンセプトは『美しき監獄からの問いかけ』です。単なる歴史の紹介にとどまらず、かつての『独居房』という極限の狭小空間を通して、来場者が自らの『自由』や『生き方』を見つめ直すような、深い精神的体験の場を目指しました」と石井氏は語ります。
名建築を未来へつなぐ「保存とデザイン」
最後に登壇した東先生は、実際の設計現場で直面した苦労や、それを乗り越えるための創意工夫について、数々の写真を交えながら解説しました。
「明治の建物ですから、当然エアコンも換気扇もありません」と話す東先生。文化庁との緻密な調整を重ねながら、歴史ある赤レンガの壁や天井に極力手を加えることなく、さらには建物の構造にも考慮しながら現代のホテルに不可欠なインフラ(空調や配管)をいかに設けるか。その検証と施工に苦心したといいます。
また客室の設計では、約5平方メートルという極めて狭い独居房(セル)をそのままでは客室にできないため、「2つの独房を合わせて1つの空間とし、9〜11セルを連ねて1つの客室にする」というプランを採用しました。
さらに文化財保存の観点から、独居房の重々しい扉は交換が許されませんでした。そのため、扉がずらりと並ぶ「監獄特有の風景」はそのまま残し、その内側に客室としての扉をもう1つ設けました。当時の面影を残す廊下から一歩客室内へと足を踏み入れると、ラグジュアリーな空間が広がるという、ギャップが演出されています。
客室と並んで象徴的なのが、かつて受刑者が集った「講堂」のデザインです。天井裏に隠れていた明治時代の美しい木造トラス(屋根の骨組み)をあえて屋内に露出させ、透明なスクリーンで区分けを施すことで、教会にある身廊と側廊を思わせる美しい空間へと生まれ変わらせました。
東先生はこれからの文化財のありかたについての問いかけで話を締めくくりました。「“そのまま残す”という保存方法もありますが、建物が元々持っている潜在的な魅力を引き出し、新たな付加価値を加えて次世代に伝えるという保存の仕方もあります。文化財をいつの時点の状態に戻すのか、あるいはどう進化させるのか、今後大きく議論されるべきでしょう」
デザインがもたらす「価値の転換」
最後に、建築デザイン学部長・片山伸也教授(建築デザイン学科)が司会を務め、登壇者によるパネルディスカッションが行われました。
そこで話題の中心になったのは、デザインがもたらす「価値の転換」です。監獄や刑務所といった施設は、本来であれば社会から遠ざけられがちな存在。しかし本プロジェクトは、あえて「奈良監獄」の名を残したまま、その重厚な歴史と意匠を「かっこいい」「泊まってみたい」というポジティブな憧れへと見事に転換させてみせた事例といえます。
ディスカッションの中で、是澤先生は「『価値』は目に見えないとなかなか伝わらない。だからこそ、今回のように『価値』を可視化していくプロセスが極めて重要です。すべてをそのまま残すというよりも、適切に取捨選択して再生していくことは、文化財の価値と今の時代の思想を未来へつなぐことにもなる」と指摘。また、石井氏は「この建物とプロジェクトには、一流のクリエイターたちの創作意欲を激しく揺さぶる、不思議な磁力があった」と当時を振り返りました。
最後に東先生が、「最初に奈良監獄を訪れた際、見たこともない空間が広がっており、建築家として挑戦せざるを得ないと感じた。建物自体に、価値の転換を可能にする強い魅力があった」とプロジェクトの原点を語り、本シンポジウムを締めくくりました。
