国際女性デー記念講演「越境という実践-国際的に生きることの意味-」
2026.04.06
本学では国際女性デー(3月8日)に合わせ、国際的に活躍する卒業生を講演に迎え、女性をエンカレッジする記念講演を毎年開催しています。今年度は、2026年4月の「JWUキャリアライフセンター開設」と「文学部の学科名称変更」を記念し、3月7日(土)、文学部国文学科(現日本語日本文学科)を卒業し、オーストラリアで、日本語教育と言語学研究に携わる米澤陽子氏をお招きし、「越境という実践-国際的に生きることの意味-」をテーマにご講演いただきました。この記事では、異文化理解や越境的実践について語られた講演の内容を紹介します。
日本語ボランティア活動で出会った日本で懸命に生きる人々
私は子どものころ、「日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行」という、世界の国々や民族の文化・風習・宗教などを紹介する紀行番組が好きだったことを、今でもよく覚えています。日本女子大学に入学してからは、毎年夏休みになると友人とバックパッカーとして、1か月ほどヨーロッパ各地を旅する学生生活を送っていました。当時の友人の中には、その経験をきっかけに旅行業に就いたり、ジャーナリストや外交の仕事に進んだ人もいましたが、私は一般企業に就職しました。今振り返ると、「安定した職業に就かなければいけない」と、自分自身を縛っていたようにも思います。
しかし、会社員生活は長くは続かず、その後アルバイトで生計を立てていた時期に、江戸川区の日本語ボランティア活動に出会いました。そこは、町工場で働く海外の人々が日本語を学ぶ場であり、地域の人たちが夜間にボランティアで教えている教室。当時の生徒の多くはイランなど中東から来た人たちでした。私もその活動に参加し、授業の後には皆で食事に行くこともありましたが、厳しい生活を送っているはずの彼らが、天使のような笑顔で明るく生きている姿に、深く考えさせられました。ある生徒は深夜に飲食店のおしぼり回収の仕事をしており、その現場を見学させてもらったこともあります。
この経験を通して、日本語を教えることへの興味という「好きの芽」が自分の中に生まれ、日本語教師を志すようになりました。また、彼らと接する中で社会には表からは見えない仕組みがあり、私たちの知らない見えない労働によって日常が支えられているのだということを、漠然と実感するようにもなりました。
人生を変えたオーストラリアへの越境
無事に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語教師として国内の日本語学校などで教え始めましたが、さまざまな思いが募り、海外に出ることを決意しました。それまでに出会った、懸命に日本での生活に馴染もうとする人々の姿がずっと心の中にあり、自分も彼らと同じような立場に身を置いてみたいという気持ちがあったのだと思います。検討の末、留学生としてオーストラリア国立大学の応用言語学修士課程に進学しました。この決断は、おそらく私の人生で最大の「越境体験」であったと思います。オーストラリアを選んだ理由の1つは、多文化主義の国であることでした。オーストラリアへの留学は自分がマイノリティであることを自覚する体験でしたが、なんとも言えない自由も感じることができました。
30歳を過ぎて初めて大学院で触れた言語学は、人生で初めて「これが好きだ」と思える分野でした。英語が得意ではない私は、予習復習に人一倍時間がかかり、苦労の連続でしたが、それでも非常に充実した2年間でした。その後、博士課程への進学も考えましたが、留学生の学費は高額で、奨学金制度もなく、進路に行き詰まりました。そこで留学生という立場を変えるため永住権の取得を目指すことにしました。
もちろん、永住権は簡単に取得できるものではありません。当時は都市部での取得が難しく、地方で数年間働くことで地域がスポンサーとなる制度があったため、私はノーザンテリトリー(北部準州)の中学校で日本語教師として働き始めました。はじめはパートタイムでしたが、徐々に責任ある仕事を任され、フルタイムで働くようになりました。ただ、国の方針によって日本語の授業時間数は年により変動します。プログラムが半減した際には、小学校での日本語教育を中学校の校長に提案し、月曜から金曜まで車で1〜2時間移動しながら5校を回る日々もありました。学校の授業では日本語を教えるのですが、説明は英語が中心で、職員会議や保護者対応も英語です。そのため、英語が不得手な私はどうしても同僚より残業が多くなるのですが、そうした中で、放課後、移民として学校の清掃の仕事をしている人たちと自然に親しくなります。やはり私は、母国を離れ異国で懸命に生きる人々に、強く心を動かされるのだと改めて感じさせられる出来事でした。
文化的背景に目を向けるということ
数年間中学校で働いたことで無事に永住権を取得し、博士号取得のために再びオーストラリア国立大学へ戻りました。博士課程で特に印象に残っているのは、「危機言語」を研究されているニコラス・エヴァンス先生の国家プロジェクトです。それは、オーストラリアで消滅の危機にある言語を保護する取り組みでした。かつてオーストラリアには約250の民族言語があったとされますが、植民地支配や白豪主義の時代を経て、現在では半分以下にまで減少しています。さらに、今は存在する言語であっても、高齢者しか話さず、子どもたちには継承されず消滅の危機に瀕している言語も多くあります。生き物の絶滅危惧種と同じで、言語も話す人がいなくなる前に保護しなければ消えてしまうのです。この活動を通して、言語学に携わる多くの仲間とも出会うことができました。
博士号取得後、現在はシドニー大学で教鞭を執っていますが、言語学者として思うのは、「今は多様性の時代だ」という言葉には違和感があるということです。もともと人類は今以上に多様であり、人類の歴史は多様性を抑圧し、失わせてきた過程でもあったのではないでしょうか。だからこそ今、私たちは本来持っていた豊かな多様性を取り戻す必要があると感じています。そのためには、身近な人々の文化的背景にぜひ目を向けてみてください。例えばアルバイト先で出会う人でも構いません。その人の言語や文化に関心を持つことから始めてみてほしいのです。そこから文化の多様性や、言語やジェンダーについて考えを深めていくことができるはずです。それこそが、心や思考の中での大切な「越境体験」なのではないでしょうか。1人ひとりのつながりこそが、世界をより良くしていく——私はこれまでの経験から、そう信じています。
1993年に日本女子大学文学部国文学科(現 日本語日本文学科)を卒業し、日本国内で会社員・日本語教員を経験した後、2002年にオーストラリア国立大学にて応用言語学修士号を取得し、日本語教員として北部準州の小・中・高等学校で教鞭を執る。
2017年には同大学で言語学博士号を取得し、ニュージーランドのビクトリア大学ウェリントン校を経て、現在はシドニー大学人文社会学部・言語文化学科・日本研究科所属。
