Vol.03

鈴木さんへ

当時のクラス日誌と機関紙
当時のクラス日誌と機関紙

 鈴木姉妹は、透き通るほど色白で見目麗しい姉妹でした。私はお姉さんを新任で教えて2年後、初担任で妹の陽子さんのクラス担任となりました。大変優秀な陽子さんは、ご立派な模範生としてよりも、次女の奔放さと聡明さで楽しいリーダーとしてクラスをまとめ、生徒会議長として全校生徒を導いてくれました。杓子定規に「あらねばならぬ優等生」の姿を当てはめようとした若く初担任の私は、今振り返れば、余裕のない熱血指導や包容力の無い助言をしていたと気づかされます。クラス日誌に残る彼女との小さなバトルや面接での記憶がそれを伝えていて今となっては申し訳ない思いですが、それでも、今でも何かあれば「共同奉仕ですよ!」とばかりに、学校のあれこれを真っ先に「ヨサン、どうぞよろしく!」とお願いし、頼り続けてきた卒業生なのです。いつも本当にありがとう、心から感謝しています。
 有志によるクラス機関誌「Walkーずんだと48人の仲間たち」を発刊し3年三泉寮生活中も原稿をまとめたり、校外授業のバスの中はいつも全員でしりとり歌合戦に興じたりと好き勝手していた初担任クラスですが、クラス全員で協力する気持ちがみんなにあってこそ出来たことであり、それを先陣切って楽しんで引き受けてくれた彼女のお陰です。
 彼女達生徒会総務の考えた生徒会基本方針は「高めよう!主張する勇気と互いの尊重から」でした。それから40年近くの長きに亘って、基本方針を説明する際私は必ずこれを例に話します。これこそ今に通じる本校生徒たちの目指すべき自治の本質だからです。
 中学3年生のクラス日誌には既に「住居学科に進みたい」と綴っていたその通りに、建築家となり活躍する彼女に、中学3年生のキャリア教室の講師もずっとお願いしていますし、改定後初の学校案内の卒業生のメッセージにも登場してもらいました。キャリア教室に思い入れ深い私は毎年その講座を見学します。講座を選んだ生徒が課題を一人一人発表している時は、その生徒の傍に跪き、目線を同じくしながら、なぜそう思うのかを問い、生徒の発想を認めて誉め、その後的確なアドバイスが続くので、納得した生徒の目が輝きます。これこそ、個の発想を大切にしながら可能性と意欲を伸ばしていく本校の導きだと、かっこいい彼女の講師姿に教えられている私です。
 この講座の中で知りえた西生田キャンパスの中庭の改修設計者としての活躍ぶり、設計に込めた思いですが、私は彼女のデザインした大学校舎の中庭が大好きです。カーブしながら続く芝生の中庭の足元を丸い外灯が照らし、緩やかにくねりながらいざなってくれる風景は、遠目にも温かな光の連なりです。今日も遅くなってしまったと慌てて広い校地を東門まで急ぐ車をしばし止め、私はこの外灯のぬくもりに元気をもらいます。そして「ヨサンこんばんは、いつもありがとう!」と彼女の灯に挨拶をして、家路につくのでした。

国語科 椎野