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2024/03/27

  • 未来のワタシ

Vol.16「私と社会をつなぐ、議論の思い出」

  • 中学生のワタシ
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 意見を言い、それを聞いた友達が別の観点から意見を言い、自分では一生思いつかなかったかもしれないその意見に触発されて新たな考えが芽生え、更に意見を言う。この「議論」という営みはなんと面白くて、無限の可能性を持つのだろう。

 そうワクワクどころかゾクゾクしたのは、中学2年生の後半でした。来年度の生徒会総務等を決める選挙に向け、「どういう学校生活を目指すべきか」「より良い最上級生になるには」と自分たちや学校の今と未来にクラス全員、学年全員で何時間も向き合って議論していた時でした。そして議論というものに魅せられた私は今、激しく変化するこの社会の未来に向け、自分とは異なる人生を送る多様な人々を想定しつつ、一人でも多くの人にとってより豊かで生きやすい社会となるにはどうすべきか、耳を傾け、議論し、調整し、実現を図る仕事をしています。

 当初は裁判官を目指しましたが、大学3年の冬に「過去ではなく現在や未来をより良くする仕事がしたい」「今当然に享受している言論の自由も、そう遠くない昔に先人たちが命懸けで勝ち取ったもので、誰かが守る努力をしなければいつか失われ得るのではないか」と気付き、行政官を志すようになりました。

 その後実際に働き出してから、何事もまずは自分ごととして捉える主体性や責任感、内省して言語化する能力、ひとまず挑戦してみる姿勢など、附属中高時代には皆が持っていたはずのものが、外の世界では私の能力として評価してもらえるらしいと知りました。早く外の世界を知りたいと一浪までして東京大学で学んだことは、私にとって非常に大きな出来事でしたが、実は附属小中高での経験がこの自分を形成しているのだなと気付く場面が、年々増えているように思います。

 ただ、附属中学時代に一つだけ心残りがあります。生徒会総務の議長としてどの学期を担当するかと話し合った際に、「規約改正のある3学期はパスしたい」と自ら手放してしまったことです。あの時は正直、毎冬の規約改正の機会が手間暇の掛かる日常的なつまらない行事に見えて、主導する自信がありませんでした。しかし、自分たちが生活する際のルールを自分たちで話し合って変更できること、一見完成されているような校則でも現在の自分たちに照らして一文ずつ意義を吟味すること、その機会を生徒全員が毎年経験できるよう制度化されていること、これらは各人の中学校生活にとっても、彼女たちの将来にとっても、そんな彼女たちが形成していく社会にとっても、本当に貴重なものだと、今は強く思います。そして残念ながら、日本各地の中学校を見ればまだまだ「日常的なつまらない行事」ではないものです。

 公平・公正・民主主義といったものの実現には実に手間暇が掛かることや、一度磨き上げたはずの仕組みでも時代や環境が変われば必ず不備が見出されることを、行政官として日々痛感しています。データを示しながら懸命に伝えても、附属中高時代とは違って分かり合えないこともあります。それでも、私たちの頃よりも更に充実したカリキュラム・環境で学ぶ後輩の存在に励まされつつ、引き続き沢山のものを吸収しながら、他者と向き合うことをあきらめずに、自分に出来ることを確実に行っていきたいと思います。

61回生 阿久津 茉里
文部科学省