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2022/09/06

  • 未来のワタシ

Vol.06「“私の考え”は何か」

  • 中学生のワタシ
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  • 現在のワタシ
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 日女を卒業し時が経つにつれ、中高時代に各々の思いや考え方を大切にする・されることが当たり前だと感じられる、豊かで贅沢な環境に身を置いていたことを強く実感しています。多くの場面で自分の考えを常に求められながらも、その考えを否定されることはなかったように記憶しており、全校生徒のうちのたった「ひとり」という単位の考え方でさえ大切に扱われているのを感じました。それがひいては自分自身の存在を認め、相手を認めることに繋がっていると感じます。

 中学校に入学して、数えきれないほどのスピーチの機会があります。テストには、必ず「あなたの考えを述べなさい」の一文がついています。自分の純粋な考えや思いを言葉にする機会の多さには正直戸惑いましたが、作り上げたスピーチや回答には先生がしっかりとチェックした形跡がありました。いつも文章のどこかにはなまるがついていたこと、それが嬉しかったことが今でも思い出されます。

—自分の考えはみんなと一緒ではないかもしれない。けれど間違っていることはない。

 だからこそ、自分が何であるか、興味関心があることは何か、大切にしている価値観は何かを深く考え、誰に否定されるでもなく各々が自分自身を認め、他人を認めることができるようになったと思います。自分を問われることが多かった授業の形態は、日女の「自ら考え、自ら学び、自ら行動する」という教育理念を表し、生徒の自治の精神を作り上げている部分の一つだと感じます。

 現在、私はトンネルや橋りょう等の土木構造物のメンテナンスに携わり、経年100年以上の構造物や自然環境と向き合い続けています。昔は完璧な状態だった構造物も、自然災害などを契機として変状が発生することは往々にしてあります。そんな構造物を今日において適切にメンテナンスするにあたり、建設当時やこれまでと状況も環境も変わってしまった中では、前例踏襲や一般論が通じない、、、そんな時、しきりに「自分の考え方・組織の考え方」を求められます。どうしたいか、どうすべきか、なぜそのようにしたいと考えるのか。より良い判断のためには多くの人の意見から最適解を導く必要があり、「私の考え」が非常に重要になります。もちろん入社3年目の私にも私の考えは必ず求められます。
 そのような状況下において、私は何かしらの答えを出すように努めています。自信を持って意見を言えるほど、経験値も知識も足りていないかもしれない。それでも意見を述べる決意しているのは、中高時代に自分の考えを述べ、意見を交わすことによって事柄が成立してきた経験と、私が私自身を認め、相手を認めているからだと思っています。

 在校生、未来の在校生には、中高時代が社会人生活にもとても良い影響を与えているということをお伝えしたいです。個人を大切にされてきた経験が、今の私を強くしてくれています。

66回生 荒川 友里
(JR東日本)