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2025/12/17
- 中学校生活レポート
卒業生による被爆体験講話(2025/12/16)
台風の影響で9月から延期となっていた「被爆体験講話」を行いました。お話をしてくださったのは本校の卒業生で、現在、杉並光友会(原爆被爆者の会)で活動されている久保田朋子さんです。久保田さんは東京大空襲の後、祖母の暮らす広島へ疎開し、被爆を経験されました。当時、8歳だったそうです。
戦争によって日常が奪われていくこと、配給制度により充分な食料が手に入らなくなったこと、原爆投下の前日に見た満点の星空、被爆した近所のお兄さんの最期の姿…。語られる一つ一つの言葉が胸に響き、戦争当時の悲惨さを想起させるものでした。
戦争から80年が経ち、戦争当時の様子を語ることのできる人が減ってきています。そのような状況の中で「語る」ことの使命を持ち、久保田さんは今回、後輩である中学生に語ってくださいました。「平和に関心を持ち、平和に向けて活動をしていくこと」このメッセージが生徒に響いていることを期待します。
生徒代表 終わりの言葉
原爆が投下され、終戦を迎えてから今年80年の節目を迎えました。ニュースや特集記事を目にする機会が増え、私自身もドキュメンタリーを見たり、杉並区で行われていた原爆展を訪れたりしました。黒く焼けこげた三輪車や市民の方の手記。それらを目にしたとき、言葉を失うほどに重い「何か」を感じました。
そして今日、久保田さんのお話を伺い、その「何か」が少し分かったように思います。歴史で教わる数字や事実だった出来事が、一人の人の物語として、感情やショックが手に取るように伝わってきました。私にとって一番印象深かったのは、戦争に負けたと知ったとき、まず思ったのが「もう爆弾を落とされないで済む」であったことです。戦争に負けたことが一体どういうことなのか分からないのに、爆弾の恐ろしさは知っている、辛さは知っている、ということがとても印象的でした。
私たちは戦争を直接「知らない」世代です。痛みも恐怖も、当時の空気さえ、どんなに頑張っても本当の意味で「知る」ことはできません。そしてその距離の遠さに、戸惑いや申し訳なさのような気持ちを覚える時もあります。それでも「知らない」ことを理由に目を逸らしてはいけない、「知ろうとすること」から逃げてはいけないと感じました。
戦争や原爆の記憶を語り継ぐ方は、年々少なくなっていっています。しかし、そこで終わらせてはいけない。戦争の恐ろしさ、原爆の恐ろしさを後世に語り継ぎ、二度と同じ惨劇を引き起こさないことこそが、今日私たちに託された責任であり、唯一の被爆国である日本に生きる私たちの使命だと思います。例え互いの正義のために始まった争いだとしても、戦争や原爆は、何年時が経っても人々を様々な形で蝕み続ける、決して許されないものです。中学三年間を通して戦争に向き合い、本日久保田さんのお話を伺って、各々考えが深まったと思います。今日感じたことを決して忘れずに、真摯に向き合っていきましょう。


