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2022/10/26

  • 校長より

「哲学対話」そして自治の話し合いへ!スローガンは「未完成という強さ」(2022/10/26)

  「校長も教科授業を担当し、生の生徒とのやり取りの中で未来を考えていく学校」といつも説明会でお話ししています。2学期、私も2年生の国語の授業が始まりました。隔週授業なので僅かな回数ですが、「哲学対話を始めよう!」と題して話し合う、2時間の授業です。哲学対話の方法を学び、話したい論題を決め、クラスを半数に分けて話し合いました。クラスによって論題も様々。哲学者デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の言葉のごとく、思い考えることは私が私である証です。問い、考え、語り、聞くこと、それが哲学対話。
 2年生は2学期後半、自治の話し合いが続きます。それを企画運営する委員の生徒たちは「未完成という強さ」という頼もしいスローガンを掲げました。これからの話し合いと行動に、大いに期待が持てます。
 国語「哲学対話」の授業の後で「哲学対話を終えて考えたこと」を各自がロイロノートに提出して共有し、クラスメートの意見を読み合って、共感した意見を2人選んで提出、更に共有しました。中間テストはしませんが、こうした意見の共有と思考の深化が、自己の評価に繋がっていきます。
 大変長くなりますが、生徒の意見を4名、そのまま紹介いたします。
 
 論題「思春期は特別か」
 思春期とは、私達が成長していく上での大きな一歩で今までの自分を振り返りこれからの自分について考える大事な時期だと思う。今まで通りの生活だったとしても、行動を怠ったり今までの自分とは違った考え方をするようになったりと心や行動の変化が生まれることこそが思春期の表れのような気がする。だからこそ、この思春期をどう乗り越えていくのかで自分の未来は変わってくると思う。思春期だから、と言い訳をして中途半端に物事を行ったり自分を優位に立たせたりするのではなく、良いように思春期であることを利用し今までと違う自分だからこそ自分の限界まで挑戦してみることが大事であると考えた。似ていることとして、他者が、思春期である人に対して、今までと違っている理由を思春期だからね、と言ってくるのに疑問を持ったという意見が話し合いのなかで挙がった。私もそれには同感である。自分なりに思春期という時期を抱えながらもしっかりと向き合おうとしている中、他者から言われる一言は大きく、気持ちが左右してしまうと思う。こう言われたからもう嫌だなと自分を否定するきっかけの一つになってしまうのではないか。
 そして反抗期と思春期の違いも話題に挙がったが、私は反抗期→思春期の順番であると考えた。1つの意見を突き通し反抗する反抗期に対し、反抗期を通して広がった視野だからこそ様々なことに目が移るようになった思春期は一歩成長しているような気がする。今までは思春期と反抗期の違いなど考えたことがなかったので、考えるきっかけになりよかったなと思うのと、様々な意見を聞き視野が広がったと感じるのでそれを活かして行きたいと思う。
 思春期の内容は、人それぞれ違うと思う。皆が同じことで悩んでいることはなく、それぞれが自分の悩みに対して向き合っていこうとする力は今後活かされる大事な力だと思う。これらの理由から、思春期は今の自分から一歩成長できる大切なきっかけであると思うので、思春期は特別なものであると私は考える。
 
 論題「優しい人ってどういう人?」
 私は人によって優しさの表し方は違うと思う。
 1つ目の優しさはお節介。お節介をされると「そんなこと頼んでないよ」と思ってしまうが、深く考えてみるとそれは私のことを想ってやってくれていることだと思った。私のことが心配だから、つい行き過ぎた行動をしてしまうのだと思う。「お節介も優しさ」なのだ。
 2つ目の優しさは私のことを想って叱ってくれる人。真正面から叱られると、悲しくなったり、時にはムッとしてプライドが傷つけられることもある。でも私のことを想って叱ってくれる人は、私の将来のことを考えて叱ってくれているのだと思った。そして、それも優しさだと思う。
 3つ目の優しさは私の苦しみにそっと寄り添ってくれる人。例えば私が何かに悩んでいるとする。その悩みを解決するために一緒に解決策を考えてくれ、見守ってくれる。それも優しさの1つだと思う。
 このように優しさは人によって表し方が違うと思う。そして私が挙げた3つの優しさの他にも、優しさの表し方はいっぱいあると思う。でも無限大の優しさのパターンの中にも1つ共通しているものがあると思う。それは「相手を想う気持ち」だ。優しい人は全て相手のことを想って行動している。だからこそ、自分のことが疎かになってしまうという欠点がある。だから私は自分のことも大切にしつつ相手を想って行動することも大切であり、この2つのバランスを取ることが最も大切だと思った。
 私は今回の哲学対話を通して、考えの視野が広がったように思う。上に書いた結論は自分1人で作りあげられた結論ではない。みんなの意見を取り入れて、その上で作り上げられた結論だ。例えばお節介も優しさであるということ、優しさの表し方は人それぞれあるから無限大であるということはみんなで話し合ったからこそ生まれた考えだ。話し合いの大切さも学ぶことができた、良い哲学対話だったと思う。
 
 論題「自分らしさはどうすれば?」
 私は、今回の哲学対話を通して自分らしさとは、自分に合った居心地の良い居場所を見つけることから始まると感じた。居心地の良い場所を見つけることで、“自分らしさ”を気にせず自然な自分を出せるのだと思う。また、自分らしさを出すためには、各個人にある程度合った“型”を見つけなければいけないと思った。その“型”の大きな例に学校がある。話し合いの場を大切にするこの学校と、知識や技術を蓄えることに重きを置く他の学校を比べて発言している人がいた。私はどちらも自分らしさを表現しにくい学校だとは思わないが、人それぞれ向き不向きはあると感じた。この学校は自分の気持ちを文や言葉に表すことで自分を理解していくことができるが、もう一方の学校は知識や技術を自信に変えることで自分の価値を認めることができる。そしてどちらも自分らしく過ごすことに強い繋がりを感じる。
 また、「周りの人は私の本当の自分を知らない」と話している人もいた。私はその意見を聞き、自分の思う自分らしさと、周りの思うその人らしさというものは異なってくるからこそ、自分らしく過ごせているかどうかは本人にしか分からず、それを評価できるのも本人のみなのだと気がついた。そのため、自分らしくいるために他人の力を直接借りることは難しいと考える。
 そして、私は自分らしく過ごすためにはやはり自分を認めて受け入れてくれる、自然体で過ごせる場を見つけることが大切で、自分らしさを表現できる様になるまでの過程は人それぞれ異なり、決断力を持ち自分自身の力で自分に合った道を見つけ、辿っていかなければいけないのだと感じた。
 
 論題「友達とは何か」
 友達とは何かを話し合って、改めて友達関係は難しいものだと感じた。だが、自身も昔友達関係で深い傷を負っているように、他の子も同じ悩みをかかえていることを知って、共感する部分がたくさんあった。授業が始まった時は、ただ友達の存在について話す授業だと思っていて、こんなにも深い話し合いになると思っていなかった。だが、一つの話題を繋げて深めていくうちに、お互い普段なら話せないようなことを、勇気を出して話し始めていた。私も、ずっと言えなかったし、言ったら関係が壊れてしまうと思って心の中に留めていた思いも結果的に話すことが出来た。最後の方は立っただけで涙が出てきてしまって思う通りに話すことが出来なかったが、発言することが出来てよかったと思えている。また、たくさんの友達が励ましてくれて、皆が本当に優しいなと思ったし、心の支えになった。皆の意見の中に多かったのが、友達とは、本音を言い合える仲・心から信頼出来る人という意見だった。そして、合わない友達がいたら少し距離を置いてみるというものだった。距離を置く、そのような考え方を持っていなかったので皆の意見を共有できてよかったなと感じた。
 そこで私はやはり友達は心から信頼できて、なんでも話せるような人だと思った。時にぶつかったり意見が食い違ったりする時もあるが、それも含めて友達というものだと思う。今の私には優しい、信頼できる友達がいる。信頼できる友達を作ることが、今回の話し合いで簡単ではないことを知れた。
 グループだからこそ深い話が出来たし、ずっと心の中に抱えていた思いを話すことが出来てとてもよかった。
 校長 椎野 秀子
  • コミュニティボールを持って発言します
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  • お互いの声に心を傾けます
    お互いの声に心を傾けます