日本女子大学校の授業-住居学教育

2022.04.21

日本女子大学校の授業-住居学教育

成瀬のアメリカ留学時代の日記には、国を豊かにし、国民を健康にするためには衣食住の改良が必要であり、自ら研究するつもりであると記されています。早くから住環境に関心を抱いていた成瀬が1901(明治34)年に開校した日本女子大学校では、家政学部の「家政及芸術」において「衣食住」の授業が行われることになりました。

「住」が置かれた家政学は、未だ学問として確立されておらず、その構築を成瀬から託されたのが家政学部第一回卒業生の井上秀でした。井上はアメリカの家政学を学ぶためコロンビア大学とシカゴ大学に留学、研究、視察を重ね、1910(明治43)年三月に帰国します。帰国後は成瀬の期待に応え家政学の発展に尽力、本学の住居学教育の草創期を支えていきます。
その後、東京帝国大学工科大学建築学科出身で、清水組(現 清水建設株式会社)の技師であった田辺淳吉が「建築装飾」を教えるようになります。田辺の死後は、同級生で早稲田大学建築学科の創設に尽力した佐藤功一が「建築装飾」(後に「住居研究」)を引き継ぎました。また本校師範家政学部卒業生の柴谷クニは、佐藤の事務所に通い製図を学び、1931(昭和6)年には佐藤とともに千葉県富津市の夏季寮 天心寮の建設に関わる等、卒業生として井上が構築した家政学の住居分野を担う立場になっていきます。

本展では、住居学教育発展の歴史とともに、授業で使用された教科書や生徒のノート、設計図等をご紹介します。

  • 成瀬の日記(1891年4月下旬-1892年1月27日)

  • 1926年建設の樟渓館。佐藤功一設計。

  • 1936年に家政学部第二類を卒業した小林孝子氏の卒業論文。

  • 1938年建設の日輪舎。柴谷クニ設計。