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企画展「智恵子の紙絵 智恵子抄の世界」のご案内



 岩手県花巻市の高村光太郎記念館にて11月27日(月)まで、企画展「智恵子の紙絵 智恵子抄の世界」が開催されています。

 昨年開催し、好評だったことから再度企画されました。



 本学家政学部卒業生にして洋画家・高村智恵子は平成28(2016)年に生誕130年を迎えました。智恵子との縁で本学創立者成瀬仁蔵の胸像(※)を制作した、夫の高村光太郎(彫刻家・詩人)は昨年が没後60年でした。

 光太郎がその生前に才能を高く評価した宮澤賢治との縁(☆)で戦時中に疎開した花巻。智恵子をしのび、独居7年を送った地に建つ高村光太郎記念館は全面的改修後、一昨年春にリニューアルオープン。記念館には光太郎の代表作の「手」や「乙女の像・中型試作」(注1)などの彫刻や、智恵子の生涯・作品などが、日本女子大学校の校名と共に展示・紹介され、素晴らしい内容です。

 まさに純愛を貫いた光太郎・智恵子夫妻。本学卒業生・在学生をはじめ、多くの方に同展をご覧いただきたいと思います。

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注1:十和田湖畔「乙女の像」。智恵子をしのんだ像といわれ、元々の題は「みちのく」の由。光太郎が花巻を出たのは1952(昭和27)年に像を頼まれたことから。完成後に病に倒れ、二度と花巻へは戻れず。

 



※本学の成瀬記念講堂の耐震工事に伴い、通常は壇上に安置してある胸像(光太郎制作)を、成瀬記念館入口に展示中。2018年秋ごろまで間近でご覧いただけます。


引越し展示中の成瀬仁蔵胸像



☆宮澤賢治は昨年、生誕120年。絶唱「永訣の朝」で若すぎる死を悼んだ、最愛の妹・宮澤トシも本学卒業生です。

 賢治が亡くなった翌年の集いに光太郎も参加。そこで賢治の遺したトランクから手帳が発見され、記されていたのが「雨ニモマケズ」。東京で空襲に遭い、アトリエを焼失した光太郎を案じ「宮澤家が花巻への疎開を勧めたことが光太郎と花巻との縁の始まり」だったそうです。

 「雨ニモマケズ」の詩碑は賢治没後の3年後=1936(昭和11)年に光太郎が揮毫。9月21日の命日にはその前で「賢治祭」が開催されています。