大森美香さんが語る
明治の女性にとっての女子大学-脚本執筆のなかで感じられたこと

2015(平成27)年12月2日(土)開催 人間社会学部開設25周年記念シンポジウムにて講演

 広岡浅子さんという主人公(のモデル)の女性は、幕末にお家柄の良い京都の商家に生まれ、小さい頃から「女性は、勉強などしなくてよい。お商売のことにも関わらなくてよい。女性はいかに芸事が出来、男性をたてることが出来るかが大事だ」と教えられます。「なんで私は勉強したいのにしたらいけないのか」と反発心を持ちながらも、それでもその中でしなやかに、明治・大正と生き抜けた女性です。浅子さんは、傾きかけた嫁ぎ先を助けようと右往左往するうちに「あっ、女性でもこんなことができる」「私だってこんなことができる」と、炭鉱事業を始めたり銀行を創ったり活躍していきます。そしてある程度財力を持った時に、成瀬先生と会いその著書『女子教育』に大変感銘を受け、一緒に日本初の女子の大学校を創るという活動をするようになっていきます。

 今回のドラマに関しては、広岡浅子さんという女性にひかれたのはもちろんですが、日本初の女子の大学校創立に関わったということがさまざまな方にご覧いただくきっかけのひとつとなるのではないかと思いました。
 青山学院女子短期大学在学中、私は「女子だけの世界は何と自由で、何と楽しい世界なのだろう」と思い過ごしました。それから社会へ出た時に「あっ、まだこんなに女性が生きにくい世界なのだな」と感じました。また、だからこそ女性だからこそ、生かせることもあるのだということを学びました。

 脚本を書くにあたり私が女子教育について勉強し痛切に感じたことは、男女平等という考えがなかった明治の初めに、キリスト教が大きな威力を持っていた、平等でもよいのだよという考え方から助けを得ていたということです。福沢諭吉先生の考え方の中で「男も人なり女も人なり」という言葉がありますが、当時は斬新な考え方としてとらえられていたのだと知りました。私は今も男女平等だとは思えないことがたくさんあると思っているのですけれども、この時代の人々が平等という考えが全くなかった環境で、少しずつでもよいから女子もがんばっていこうとしていたのだと感じました。

 ところが明治維新以降、日本は外国に追いつくために、急に国民全体に勉強させようとするのです。男子の教育でさえ迷いがあった中、女子の教育は振り回されていた面があったように思います。女子に勉強させようと女学校が多く創られると、今度は女子が生意気だという風潮となり、カリキュラムまで変更されて、せっかくできた女学校が減ってきてしまう、ということが起こっています。
 成瀬先生はもともと牧師で、海外で女子教育の勉強をされたのもこの頃であり、帰国後は「日本はまだこんなに進んでいなかったのか。これはどうにかしなくてはならない」と強く思われていたように思います。そこでどうしたらよいか、まずはこうしたら女子の教育は変わる、ということを本にし、啓蒙活動をされていた。この啓蒙活動に出会ったのが広岡浅子さんであったのだということを、この作品を勉強するにあたって知りました。

 そのような経緯で創立された日本女子大学は、非常におもしろい大学なのだなと、つくづく思いました。日本女子大学で初めてバスケットボールをしている写真なども見せていただきました。勉強だけでなく体を動かすことが大事なのだと成瀬先生がおっしゃっていて、そのようにさまざまなことを実験のように始め、日本の女子教育のリーダーであろうという姿勢を持ち続けていらしたというのは、すばらしい歴史だと思います。

 

大森美香さんプロフィール


福岡県出身
2005(平成17)年「不機嫌なジーン」で第23回向田邦子賞を最年少で受賞
代表作:テレビドラマ「カバチタレ!」「ランチの女王」「きみはペット」「ブザー・ビート」「聖女」「桜ほうさら」、映画「デトロイト・メタル・シティ」「宇宙兄弟」など
脚本家のほか映画監督や小説家としても活動中。

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