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写真で見る日本女子大学の110年




明治(創立期~1912)



1.「女子教育」出版(1896年2月)
創立者成瀬仁蔵が第2代校長となる麻生正蔵の協力のもとに出版。この書を携えて学校設立の支持を求めて歩いた。

2.「日本女子大学校設立之趣旨」(1896年末)



3.日本女子大学校寄付金簿

4.日本女子大学校設立許可書(1900年)



5.建築中の校舎(1900年)
三井家から目白台の土地5500余坪の寄贈を受け、設立の機運は一挙に高まった。建築は清水組と大工 赤神善三郎が請け負った。

6.開校式(1901年4月20日)
大学部入学者222名、附属高等女学校全学年入学者288名



7.創立当時の校門
現在とほぼ同位置。この地域にはまだ電気が通っておらず、門の上にはガス灯が見える。

8.創立時の大学部校舎



9.理科教室
創立以来1963年まで大切に使われ、1963年図書館建設時にとりこわされた。

10.家政学部の授業
当初より実験・実習を重視した。



11.当時は珍しい自転車乗り
自転車会規約を設けて、競技として行われた。

12.第1回運動会 於 渋沢邸(1901年10月22日)
健康に留意し体育を奨励すると共に、その成果を発表する運動会を、創立年の秋に渋沢邸で開催。以後は校庭で実施。学園全体で年々盛んになり、東京全域で有名になった。



13.日本式バスケットボール
運動会で一番の呼び物だった。成瀬がアメリカで知り改良を加えたもので、写真の服装は一時期着用したユニホームである。

14.校庭の花園
創立委員長大隈重信の寄付による。中央の建物は成瀬校長の居宅(現存)。右は学寮。



15.豊明館(教育学部校舎)および豊明図書館兼講堂落成(1906年4月)
左側部分が現在の成瀬記念講堂。

16.新講堂内での初めての卒業式 3回生(1906年4月11日)
落成式も兼ねて行われた。



17.三泉寮開寮(1906年)
軽井沢の三井家の別荘の一角に、三井三郎助より寮の提供を受けた。成瀬は、健康の泉・知識の泉・心霊の泉の三泉を汲むところとして、三泉寮と名付けた。

18.晩香寮竣工(1907年)
渋沢栄一の寄付による洋風寮。現在の寮舎地区に建てられた。



19.香雪化学館開館(1908年4月)
当時最新の理科教室の設備を備えていた。長井長義の提案によった。大阪の実業家 藤田伝三郎の寄付により建設され、その号をとり建物の名称とした。現在、同所に香雪館が建つ。

20.通信教育の教科書「女子大学講義」発刊(1909年)
近代日本初の女子高等教育の通信教育を開始。一期申し込み者は6762名だった。



21.創立10年頃の授業風景1 ~家政学部料理実習~

22.創立10年頃の授業風景2 ~教育学部動物実験~
壁にかかる解剖図はオーストリア製、顕微鏡はドイツライツ社製、共に現存。



23.創立10年頃の授業風景3 ~化学実験(中央は長井長義教授)

24.創立10年頃の授業風景4 ~棒体操~



大正(1912~1926)



25.タゴール(アジア初のノーベル文学賞受賞者)来校(1916年7月2日)
講堂で「ギタンジャリ」を朗読。

26.三泉寮もみの樹下でのタゴールによる瞑想についての講読(1916年8月16~21日)



27.桜楓家政研究館落成(1917年3月)
将来の大学をめざして建てた研究館。建設資金の4分の3以上が桜楓会員の寄付で賄われたが、関東大震災で大破した。

28.成瀬仁蔵の告別講演(1919年1月29日)
癌を患い死を予知した成瀬は、豊明講堂で1時間20分にわたり、病気の経過、死に直面しての心境、今後の学校経営について語る。この別れの講演は人々の記憶に永く残るところとなった。講演記録は「わが継承者に告ぐ」として残されている。



29.三綱領揮毫(1919年2月初旬)
成瀬は、評議員久保田譲にすすめられて教育理念を三原理にまとめた。

30. 告別式(1919年)
成瀬は3月4日に逝去。告別式が9日、講堂で行われた。



31.社会事業学部開設(1921年9月)
社会改良に役立つ教育をめざした成瀬の遺志を受け継ぎ、第2代校長麻生正蔵は日本で初めての社会事業学部を開設、各方面から注目された。
卒業生は社会福祉事業のさまざまな分野で先駆者として活躍していった。写真は9月25日の入学式。

32.女子総合大学建設資金募集趣意書発表(1923年6月)
総合大学の開設をめざして本格的な募金が始められた。しかし、大震災により募金の開始は翌5月となった。



33.関東大震災前の豊明館(右)と豊明図書館兼講堂(成瀬記念講堂の前身)

34.奇跡的に残った図書館兼講堂のステンドグラス(現存)
1923年9月1日の関東大震災により、豊明館等多くの建物が大破したが、図書館兼講堂のステンドグラスは奇跡的に残った。



35.上野公園での救援活動(1923年9月)
学生自治組織や卒業生団体桜楓会の平常の活動が生かされた。

36.本所へ向けて目白駅を出発(1923年11月2日)
東京市社会局からの依頼を受け、江東本所区の罹災者の世帯調査を実施。写真左手に写る高欄は、目白駅前に、現在も一部が遺っている。



昭和I(1926~1945)



37.大学昇格に向けて建てられた新館(1926年10月)
後に麻生正蔵の雅号にちなんで樟渓館と名づけられた。増築し、現在も使われている。

38.新館内部



39.予科高等学部入学式(1927年5月13日) 当時の日本の教育は男女別であり、女子は高等学校・大学には原則として入学できなかった。本格的な大学への昇格をめざしていた本学は、先ず予科高等学部を開校。

40.三泉寮新館増築(1927年)
夏季寮 三泉寮も、学生・生徒数の増加によって手狭となり、バンガロー風の新館が建てられた。



41.明桂寮開寮(1927年9月)
従来よりあった明桂寮と同名の洋風寮を新設。設計は、本校でも教えた佐藤功一。1993年、老朽化により閉寮。

42.明桂寮内部(食堂)



43.渋沢栄一校長就任(在任1931年4月~11月)
渋沢は1896年に大隈重信を介して成瀬仁蔵の女子大学設立の運動を知り、その熱意に動かされて創立委員となる。以後、評議員就任後、財政面での助言ばかりでなくさまざまな援助をおこなう。多額の寄付や建物の寄贈のみでなく、女子教育の推進のための講演や、帰一協会の活動なども行った。最晩年に第3代校長の職を務めた)

44.生徒の設計による「天心寮」開寮(1931年7月5日)
千葉県富津町に海岸寮を開く。土地は地元の旧家馬場甚吾の提供による。佐藤功一の指導で29回生が設計した。付近に飛行場が設置され、1940年廃寮。



45.本校出身初の校長 井上秀第4代校長 就任挨拶(1931年12月16日)

46.大学本科開設 担当の教授と第1回卒業生(1933年3月)



47.高村光太郎作成瀬仁蔵胸像除幕式(1933年4月20日)

48.三泉寮
1932年から翌年にかけて生徒の設計により4棟のカテージが建設された。ここは自炊生活の実習場となった。現在4号館のみ残る。



49.1934年当時の西生田校地
目白の地は手狭となったため、1931年頃より新天地を求める動きが本格化し、三井理事の努力により学校教育に相応しい地として決定した。

50.西生田木植え式(1939年4月19日)
西生田校地で初めて行われた創立記念植樹。



51戦時体制 ~全校生による防空訓練~(1941年10月)

52.戦時下においても授業は続けられる(1943年卒業アルバムから)



53.第1次勤労動員壮行会(1944年4月)

54.現成瀬記念講堂前の防空壕



昭和II(1945~1989)



55.戦争終結後 正門をくぐる学生(1945年10月)

56.タイプで打った手作り教科書
上級生から贈られたもの。見返しには松坂屋の包装紙を使用。



57.寮舎の庭での野菜作り(1946年)

58.新制日本女子大学の発足式典(1948年5月20日)
専門学校より「大学」となって記念の式典が行われた。家政学部を擁する本学にとり、GHQのバックアップが大きな力になった。



59.通信教育部設立(1948年)
1948年9月通信教育部を設立し、10月1日講座設置が認定された。写真は1953年夏のスクーリングの様子。

60.1948年頃の目白通りから見た正門と講堂



61.目白校校舎
1948年発足。新制附属高等学校が、前年開校の中学校が高等女学校の校舎を使用したため、高等学校は西生田の校舎で発足したが、通学が不便なこともあり、目白校も設置された。正門脇校舎の一隅で大学部の教員も授業を受け持った。

62.創立50周年記念式典開催(1951年11月) 当日の正門。



63.泉山館より正門内の広場を望む

64.大学本館 泉山館落成(1951年)
5月10日に落成式が行われた。翌年6月に、農家生活研究所が誕生。家政学における総合研究を目的としたものであった。



65.スクールバス開通(1952年7月)
目白駅から学内まで、東京都交通局の都バスが通学手段として開通。

66.第1回目白祭(1953年11月1~3日)
当初は各学科、各クラブによる研究発表が主であった。仮装行列なども行われた。



67.いづみ(泉)会館竣工(1953年11月) 大学泉会の寄付による学生食堂。七十年館建設後さまざまに利用され、八十年館の建設で取り壊された。

68.成瀬仁蔵生誕100年記念式典(1957年6月)
6月22日には生誕百年を記念して、式典がおこなわれた。記念事業として、その他に記念講演の開催、日記の刊行、記念奨学金の制定、記念講座の開設、成瀬仁蔵住宅の大修理(以降、成瀬記念館とする)などが行われた。



69.インディラ・ガンジー夫人来校(1957年10月22日)
学生に、「女性による国際的相互理解と協調」と題する講演を行った。この時期、本学は外国より訪問者を頻繁に迎えている。

70.泉山館4階部分の増築(1956年9月)



71.学生相談室の開室(1958年4月))
アメリカ教育使節団により紹介された
SPS(Student Personal Service)構想の実現と、既に開講されていた「カウンセリング講座」を実践に移すことをめざすものであった。現在のカウンセリングセンターの前身である。

72.大学と学生自治会の連絡協議会発足(1959年4月)
学校と自治会の二つの機関を繋ぐものとして成立。学生自治会の体制が整えられた。



73.講堂補修工事完了(1961年1月10日)
外壁、内装が旧来の形を保持しつつ大幅に変えられた。以後、成瀬記念講堂と称することになった。

74.泉山館増築竣工(1961年4月10日)
大学院の校舎として建てられた。



75.創立60周年記念式典(1961年6月23日)
創立60周年記念事業として、学部学科の充実、学園の近代化、図書館の新築など学園の一層の充実を図る計画は、理事会・PTA等の強力なバックアップのもとに実行に移された。写真は、式辞を述べる第6代上代タノ学長。

76.大学院家政学研究科設置(1961年6月23日)
写真は5月15日第1回入学式。



77.新図書館開館(1964年6月23日)
創立60周年記念事業の一つとして62年からの準備委員会、63年4月の定礎式を経て完成。当時としては珍しい全開架式。

78.泉山館新館竣工(1966年6月)



79.香雪館増築竣工(1969年1月)
4階の上に一層を増築し、5階建てとなった。これで教室不足も緩和された。

80.学生自治会 大学立法法案反対ストライキ(1969年6月)
全国に広がった大学紛争に対し、政府は大学教育への介入をはかった。学生は大学立法に反対し、1週間の授業ボイコットを行った。



81.創立70周年記念式典 祝辞を述べる有賀学長(1971年11月30日)
周年記念事業として教育組織の一新と施設の充実が挙げられた。

82.七十年建設のための取り壊し(1972~1973年)
4号館(左)、ゆりの木の家(右)等を取り壊し、73年1月24日に七十年館地鎮祭が行われた。



83.裏門(現 護国寺門)付近
解体中の4号館(左)と、階段教室跡地(右)。

84.整地が進む七十年館建設用地
樟渓館(左)と香雪館(右)前に造成中の用地を西側から望む。



85.七十年館竣工(1974年3月)
多目的ビルとして長年の懸案であった調理関係諸施設と、学生の課外活動のための諸施設が中心として入り、大学生協、桜楓会実業部、保健管理センター等が入った。

86.三泉寮セミナーハウス完成(1976年7月)
泉会の寄附による。木造2階建て。演習室7室、収容人数200名。



87.三泉寮本館改築竣工(1979年6月)
泉会の全面協力により改築。設計者は卒業生の林雅子。(創立80周年記念事業)

88.創立80周年記念式典(1981年11月16日)
式辞を述べる第9代青木生子学長。記念事業は、八十年館の建設と三泉寮の改築および成瀬記念館の建設が計画された。



89.八十年館竣工(A棟)(1982年6月)

90.取り壊された教養館
創立時には高等女学校校舎として使用。戦後中学校の校舎、その後は大学の教室として使われた。



91.成瀬記念館竣工(1984年10月18日)
設立の目的は、創立者の教育理念と本学の歴史を明らかにし、その継承を図ることにあった。設計者は浦辺鎮太郎。

92.正門と塀などの改修(1984年)
成瀬記念館の建築に伴い、正門の門柱は以前と同じ形で造り直され、門扉と塀、警備員室も新しくなった。



93.取り壊された一号館
附属豊明小学校・幼稚園創立当時の校舎。その後大学や高等学校の教室、事務室として使われた。



平成(1989~現在)



94.開発が進む西生田キャンパス旧東門付近

95.西生田キャンパスの新しい東門と警備員室



96.米国ウェルズリー・カレッジと学生交換制度発足(1989年7月)
90年2月16日には、ウェルズリー・カレッジの留学生が来日、本学側からは8月に留学生が出発した。

97.人間社会学部開学(1990年4月)
西生田キャンパスに5学科の構成で開学した。創立時より目指した総合大学に向けて一歩前進するものであり、同時に西生田校地の発展使用を考えたものであった(写真は、90年6月2日の開学式)。



98.ウェルズリー・カレッジ学長来校(1991年1月14日)

99.理学部開学(1992年4月)
家政学部を改組し、数物科学科と物質生物科学科として理学部が構成された。



100.大学院人間生活学研究科入学式(1992年5月8日)

101.大学院人間社会研究科入学式(1994年4月14日)



102.日本女子大学西生田生涯学習センター開所(1995年6月)
東門の近くに専用の建物が竣工し、6月8日に開所式が行われた。心理相談や講座など一般市民にも開放されている。

103.西生田C棟完成(1996年4月)
大学院研究棟として建てられた



104.西生田成瀬講堂落成式(1996年6月1日)
1994年に着工し、2年近い工期をかけて完成した。落成式では、ベルリン・フィル八重奏団による演奏が行われた。

105.百年館新築工事着工(1999年)



106.百年館高層棟竣工(2001年5月)
地下1階、地上12階、高度化、多様化する学問を発展させる研究、教育棟として完成。

107.創立100周年記念式典(2001年12月1日)
第11代後藤祥子学長の式辞「百年の夢を受け継いで」には、成瀬の希求した人格教育を根本とする科学や平和の教育を引き継ぐ決意が込められた。



108.創立100周年記念講演会(2001年12月1日)
式典では梨花女子大学学長帳裳(サン・チャン)博士による講演「女性―新しい時代の創造者達」が行われた。

109.創立100周年を記念して、三部作となる 『日本女子大学学園事典 創立100年の軌跡』(2001年)、『年表 日本女子大学の100年』(2001年)、『写真が語る 日本女子大学の100年』 (2004年)が発行された。



110.百周年記念特別展示(2001/12/8~2002/1/25)
成瀬記念館では百周年記念展示を開催。講堂でも特別展示が行われ、3000人を超す見学者を迎えた。

111.オレゴン大学との交換留学開始(2001年)
米国オレゴン大学との交換留学協定が2000年12月に締結され、2001年オレゴン大学副学長J.T.モースレー博士一行が本学を来訪。



112.五女子大学コンソーシアム協定締結(2002年5月17日)
文部科学省の推進により、アフガンニスタンの女子教育支援を目的に、お茶の水女子大学、津田塾大学、東京女子大学、奈良女子大学および本学が協定を結んだ。写真はコンソーシアム調印式に臨んだ五女子大学学長。

113.同志社女子大学との学生交流協定調印(2002年5月13日)
第11代後藤学長が同志社大学を訪問し、森田潤司学長と共に調印式に臨んだ。歴史的な関係を持つ両校の国内留学が開始された。



114.アフガニスタン女子教育支援の活動開始(2002年)
五女子大学コンソーシアムがJICAと提携し、アフガニスタンから女性教育者を招き、約1カ月間の研修を実施。2002年度から3年間継続。附属校園も研修の場となった。写真は附属高等学校での科学実験を見学する研修団の人々。

115.百年館低層棟竣工(2003年6月)
地下1階、地上7階、情報機器の整備された教室、保健管理センター、カウンセリングセンター等が配されている。



116.カブール大学との大学間協定締結(2003年9月)
アフガニスタンよりポパル学長を迎え、友好・交流を目的に大学間協定が結ばれた。この締結により本学の協定大学は、アメリカ、イギリス、韓国、カナダ、オーストラリア、アフガニスタン各国の13大学となった。

117.西生田スクールバス開通(2004年4月)
小田急線向ヶ丘遊園駅南口と西生田キャンパスの間を運行。貴重な足になっている。



118.新泉山館竣工(2004年6月)
最新設備を備えた195人収容の大会議室の他、研究室や、国際交流施設としての宿泊室などがある。

119.平塚らいてう賞創設(2005年)
平塚らいてうの本学卒業100年を記念して、男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくことを目的として創設された。



120.卒業生設計による泉プロムナード完成(2006年)

121.三泉寮開寮100周年記念式典挙行(2006年8月27日)
三泉寮の開寮100周年を記念し、軽井沢町にゆかりのある方をお迎えし、学園関係者とともに、三泉寮にて 記念式典、記念植樹および祝賀会を行った。



122.リカレント教育課程開講(2007年9月)
大学卒業後に就職しても育児や夫の転勤等によって離職した女性に1年間のリカレント教育を提供し、さらに修了者にレベルの高い再就職先をあっせんすることを一体化した事業で、生涯にわたって卒業生を支援することを目指している(写真は開講式の様子)。

123.現代女性キャリア研究所開設(2008年)
本学が創設時より掲げてきた女性教育の伝統と理念を変貌する現代に生かすために、現代の女性とキャリアを取り巻く諸問題を調査研究し、その成果を、本学の教育のみならず、広く社会へ発信して、女性がそのもてる能力を全面的に発揮できる社会の実現に貢献することを目指し、設立された。写真は2009年1月24日シンポジウムの様子。



124.成瀬仁蔵生誕150年記念行事実施(2008年)
成瀬の生誕150年を記念して、記念式典・祝賀会、音楽祭、記念祝歌授賞式、記念 出版物刊行などの事業を開催した。写真は6月21日の記念式典の様子。

125.教職教育開発センター開設(2010年)
教職を志す学生を支援すると共に、現職教員のネットワーク拠点として教育力向上のための情報や交流の機会を提供することを目指し、設立された。写真は2010年7月24日設立記念セミナー。



126.創立110周年記念式典(2011年11月)
創立110周年を記念して11月19日、記念式典と祝賀会が開催された。写真は式典の様子。

127.初めての名誉博士号贈呈(2011年11月)
創立110周年を記念して日本女子大学名誉博士号授与規定が制定され、その第1号が、ウェルズリー・カレッジ学長 H. Kim Bottomly博士に贈呈された。