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女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう (1886-1971) 

~元始、女性は実に太陽であった~ (青鞜)



女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう(1886-1971)


 東京本郷で、裕福な家庭に生まれた平塚らいてう(本名:明(はる))は、創立者 成瀬仁蔵 の書いた『女子教育』に感銘を受け、日本女子大学校の第3回生として家政学部に入学。在学中は、成瀬仁蔵が創立以来続け、現在、科目名を変えて継承されている『実践倫理』の授業にて自ら質問をぶつけるなど、積極的な学生でした。
 卒業後、『青鞜』を発刊。創刊時の「元始 女性は実に太陽であった」という有名な辞は、女性解放運動の宣言とよく知られています。
 その後、法によらない結婚をし、母性保護論争で与謝野晶子と論争、当時の世間を賑わせました。母性保護論争を経て、1920年3月、「新婦人協会」を組織し母性の権利確立のための社会運動に乗り出しました。そして国会請願運動の結果、1922年2月、女性の政談集会への参加および発起が認められることになりました。戦前の日本では、女性の政治的権利獲得に成功した唯一の例になります。この後、消費組合運動を実践し、戦後は平和運動のオピニオンリーダーとして影響を与えました。

 思想家として、平和を愛し、女性解放に一生を捧げた平塚らいてう。
本学では、男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくことを目的として「平塚らいてう賞」を設けています。